利用者のケアプランを組むとき、その家族がどんな仕事をしているか、気にしたことはありますか?
「正直、なかなかそこまで頭が回らないですよね。一ケアマネジャーとして」
そう語るのは、東京都江戸川区で主任ケアマネジャーとして働く服部陽子さん。しかし服部さんは今、利用者の「脇にいる家族」にこそ目を向ける仕事をしています。
産業ケアマネ——企業の中に入り、社員の介護離職を防ぐケアマネジャーです。
この仕事を始めてから、服部さんの通常のケアマネジャー業務も大きく変わったと言います。事業所の選び方、保険外サービスへの視野、そして「選ばれるケアマネジャー」としての意識。
産業ケアマネとは何か。そしてなぜ、現役のケアマネジャーにこそ知ってほしい仕事なのか。服部さんに伺いました。
前社長の想いを引き継いで、産業ケアマネの道へ

服部さんが産業ケアマネを始めたきっかけは、所属する事業所の前社長の存在でした。
前社長はケアマネジャーを紡ぐ会の会長でもあり、自身が手がけてきた事業の1つを社員に託したいという想いを持っていたと言います。
「それで私の方で、じゃあ産業ケアマネという業務はやらせていただきますというのがスタートだったんです」
施設相談員として、そして居宅ケアマネジャーとして、服部さんは介護離職という社会問題に何度も触れてきました。
仕事を辞めて介護に専念した方々と向き合う中で、「これは社会に非常に必要な存在になっていく」という確信があったからこそ、引き受けることができたといいます。
半年ほどで4件の企業契約を獲得。その実績を受けて事業をスピンアウトし、産業ケアマネ事務所を設立しました。現在は居宅ケアマネジャーと産業ケアマネの二足のわらじを履いています。
産業ケアマネを経験して、チームの組み方が変わった

産業ケアマネの話をする前に、まず服部さんが強調したのは、この仕事がケアマネジャー業務そのものに与えた影響でした。
「ビジネスケアラーが家族にいる場合のチームの組み方が変わりました。日中は仕事で手が離せない家族の状況に合わせて、初めからチームを組むんです。SNSで連絡が取れる事業所、電話だけでなくメールでも柔軟にやり取りができる訪問看護ステーションさん、夕食対応やお泊まりが可能なデイサービス、急な対応も可能な人員の多いヘルパー事業所。 家族をリソースにしないという前提で選ぶんです」
家族の事情を踏まえたうえで事業所を選定し、提案する。家族を支えることは、結果として目の前にいる利用者さんを支えることにもつながります。
家族が倒れたら1番困るのは、利用者さんだから——この発想は、産業ケアマネを経験して初めて生まれたものだと言います。
「他のセミナーでこの話をしたら、すごく反響がありました。事業所さんにも、これはビジネスチャンスですよって伝えています。『うちは働く家族の味方です』と言えたら、ケアマネジャーにどれだけ響くか。絶対にそういう時代になっていきます」
さらに、保険外サービスへの視野も広がりました。見守り機器、エアコン制御ができるIoTデバイス、自費ヘルパー、旅行に同行するトラベルドクター。
介護保険の枠にとどまらない提案ができるようになったことで、ドクターや家族からの紹介・指名も増えたといいます。
「介護保険しか知らないケアマネジャーと、保険外も含めて一緒に考えてくれるケアマネジャー。どちらに自分の親をお願いしたいかって話なんです」
では、そもそも産業ケアマネとはどんな仕事なのか。服部さんが企業の中で何をしているのかを見ていきます。
「離職者はいません」——その言葉が、1番のリスクサイン

産業ケアマネとは、企業の中に入って社員の介護離職を防ぐケアマネジャーです。
通常のケアマネジャーが利用者本人の生活をマネジメントするのに対し、産業ケアマネは「働く家族」の側に立ちます。
仕事を続けながら介護と向き合うにはどうすればいいか。その道筋を、企業と社員の間に立って整えていく仕事です。
しかし、企業への導入は簡単ではありません。
「経営者の方に声をかけると、ほとんどの方が『うちは離職なんていう人はいないし、今までにもいませんでしたよ』とおっしゃるんです」
服部さんはまず、社員に匿名のアンケートを実施します。
「5年以内に自分が介護をしている可能性はあるか」「今の会社で介護との両立ができると思うか」。結果をグラフにまとめ、無償で経営者に提示する。これが突破口になりました。
「大体2割5分から3割5分くらいの方が、『今の勤務状態では介護離職か転職を考える』と答えられます。どの企業でも、ほぼ同じ結果なんです」
数字だけではありません。自由記述欄には、経営者が想像もしなかった声が並びます。
「『言える雰囲気がない』とはっきり書かれる方がいます。
中小企業の経営者は『うちは距離感が近いから言いやすいはずだよ』とよくおっしゃるんですが、逆に近いからこそ言いづらいこともあったんだと気づかれるんです」
中には「辞めた方で介護離職をしたということを実は知っていました」という記述もあったといいます。介護休暇の制度を用意していた企業でも、実際には活用されていなかった。
経営者のもとには上がっていなかった現実が、アンケートを通じて初めて表に出てくる。服部さんはこの瞬間を「考えていただける機会」と表現しました。
「休めばいいよ」が、部下を介護離職に向かわせる

企業と契約した後、服部さんがまず取り組むのは管理職向けのセミナーです。
「1番初めに私が必ずお伝えしているのは、管理職の方々がミスリードしないようにということです。相談されたら何と言えばいいか、逆に言ってはいけない言葉がある、ということをお伝えするんです」
管理職が部下から介護の相談を受けたとき、つい口にしてしまうNGワードがあります。
「ゆっくり休んだらいいよ」「長男は大変だね」「大変なら施設も考えたら?」
一見、思いやりのある言葉に聞こえます。しかし服部さんは、これらが社員を一気に「介護する側」へと押し出してしまう危険性があると指摘します。
「仕事を休まないで頑張りたいのに、上司の言葉が『介護をすべきである』に変換されてしまうことがあるんです。いろんな気持ちが今その方にはあって、仕事の調整をしてほしいだけかもしれない。でも、介護の調整は管理職の仕事ではないんです」
セミナー直後のアンケートでは、管理職から高い反響があるそうです。「自分も絶対『休めばいい』と言ってしまっただろう」という声が多く寄せられます。
介護の具体的な相談は、産業ケアマネや地域包括支援センターにつなぐ。管理職の役割は、そこへ導くこと。この役割分担を明確にすることが、服部さんのセミナーの核心です。
とにかく初動のパニックを防ぐ——「予防の予防」という考え方

管理職への教育と並行して、服部さんは全社員向けのセミナーも行います。ここで驚かされるのは、介護の基本的な情報すら届いていないという現実です。
「セミナーの冒頭で『地域包括支援センターをご存知ですか?』と聞くんです。50〜60人いても、手が挙がるのは3人くらい。どこにあるのか、どういう状況でアクセスしていいのかさえ、ほとんどの方がわからないんです」
介護業界にいると「地域包括支援センター」は当たり前の言葉です。しかし、一般のビジネスパーソンにとっては、存在すら知らない窓口。
服部さんはセミナーでQRコードを配り、その場で全員に自分の親の住所を入力してもらい、管轄の地域包括支援センターを携帯に保存するところまでやります。
「産業ケアマネは、企業の中のミニ地域包括支援センターみたいなものだと思っていただくとわかりやすいかもしれません。この段階ではあなたはもう地域包括支援センターに相談してください、というところまでご案内するんです」
なぜ、ここまで事前の備えにこだわるのか。服部さんには、現場での実感があります。
「介護を始めて1ヶ月くらいで仕事を辞めるという方が結構多いんです。とにかく初動のパニックがすべてをばらばらにしてしまう」
突然介護に直面したとき、何をすればいいかわからない。その混乱の中で、「もう辞めるしかない」と判断してしまうケースが少なくないといいます。
「介護は育児と違って、事前に勉強しないと絶対に上手くいかないんです。リテラシーがないままでは、パニックになるのは当然。もっと手前の段階で、介護とはこういうものだと知っておくことが大事なんです」
地域包括支援センターへのつなぎ方にも、服部さんならではの意識があります。
「地域包括支援センターも忙しくて、相談内容が整理されていないと後回しにされてしまうことがあるんです。でも、会社で研修を受けて、こういうふうにアクセスするように言われたんだと伝えれば、全然対応が違う。予防の予防をしているんです」
介護離職による経済損失は年間約9兆円にのぼるとされています(経済産業省)。しかもその大半は実際の離職ではなく、働きながらパフォーマンスが約3割下がるという”見えない損失”の方が大きいといいます。
産業ケアマネの仕事は、目の前の介護問題を解決するだけではありません。
「いつか来るかもしれない介護」に対して、会社ぐるみで備えをつくる。その伴走者が産業ケアマネなのです。
現場にいるから、語れることがある

産業ケアマネに向いているのは、どんなケアマネジャーなのか。服部さんの答えは明確です。
「保険外サービスの提案ができる人。そして、現場にいることにこだわれる人です」
企業で個別相談を担当する中で、服部さんはビジネスパーソンならではの感覚を肌で感じてきました。
「ビジネスパーソンは具体的な選択肢が欲しいんです。いかに仕事を止めずに介護を回せるか。場合によっては自費を出してでも、そこを解決したい。そこに対して介護保険の話だけしても、何の魅力もないんですよ 」
一方で、現場から離れてしまっては説得力を失うとも考えています。
「制度を語るだけだったら、コンサルでもできます。でも私たちがやるのは、現場を知っているから事例が話せるということ。それが産業ケアマネの強みだと思っています」
服部さん自身、常勤のケアマネジャーとして月の前半で通常業務を集中的に終わらせ、後半を産業ケアマネの活動に充てています。
企業への出前セミナー、地域包括支援センターでの登壇、顧問先でのフォローアップ。両方の現場に立ち続けることが、自分の価値だと言い切ります。
「そういうふうに思いたいケアマネジャーだったら、産業ケアマネは誰でもなれると思っています。どちらにも還元されるので」
「選ばれるケアマネジャー」になるために

最後に、服部さんにこれからの展望を聞きました。
「まだまだこれからです。でも、確実に変わってきている実感はあります」
最初の顧問契約先では、1年が経ち、介護休暇を取得する社員が出始めました。今はその変化を数値化するためのアンケートを回収中です。
介護当事者だけでなく、介護する同僚を支える「フォロワー」の不公平感にも目を向けたアンケートにしたのは、服部さん自身が現場で気づいた課題でした。
「Aさんはお母さんの介護で休みを取らなくてはならない。でも仕事としてそれを支える人がいて成り立っているという状況ですよね。 介護当事者だけでなく、フォロワーの方々に不公平感がないようにすることも企業は考えなきゃいけない」
介護離職の防止は、当事者個人の問題ではなく、組織全体の関係性の問題でもある。服部さんは1年の活動を通じて、その実感を深めています。
「介護離職を防ぐことを、ただの福利厚生ではなく、人材確保の戦略として捉えてくれる企業が出てきています。それがすごく嬉しいんです」
産業ケアマネの経験は、ケアマネジャーとしての視野を確実に広げる。保険外サービスの提案力、ビジネスケアラーに寄り添ったチームづくり、そして事業所との新しい関係性。
その一つひとつが、より多くの利用者さんとご家族を支える力になり、それがまた自分自身を「選ばれるケアマネジャー」へとつなげていく。
この好循環こそが、産業ケアマネの最大の価値かもしれません。
「産業ケアマネをやるようになってから、ドクターからのオファーが増えました。ご家族からの紹介も増えました。結局はそういうことなのかなって。選ばれるケアマネジャーになるということをしていかないと、これからは難しくなっていくと思います」
企業の中に、介護の相談ができる専門職がいる。その安心感が、社員のパニックを防ぎ、離職を防ぎ、やがて組織全体の文化を変えていく。そしてその経験は、ケアマネジャーとしての自分自身も変えていく。
産業ケアマネは、まだ多くの人が知らない仕事です。しかし、介護と仕事の両立が当たり前になるこれからの社会で、その存在はますます大きくなっていくに違いありません。
執筆者紹介 高橋
医療と介護をつなぐ「安心のサポーター」。現場のリアルな知恵を届けます。
訪問看護やデイサービスでの勤務を通して、介護の現場に携わってきました。病院勤務の経験もあり、医療と介護の両方の視点から、現場で得た知識や経験をわかりやすくお届けします。
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