母親のすすめで、看護助手として病院へ。その後、特別養護老人ホームの介護職を経て、障害福祉サービスの立ち上げ、居宅介護支援事業所の経営まで——進絵美(すすむ・えみ)さんの歩みは、決して計画されたものではありませんでした。
「志なんて、何もなかったんです」。そのときどきの状況のなかで選べる道を選んできただけだと、進さんは振り返ります。
そんな進さんの転機になったのが、「ケアマネジャーを紡ぐ会」との出会い、そして“産業ケアマネ”という新しい働き方でした。
いま2代目会長として掲げるのは、「疲弊しているケアマネジャーを、ゼロにする」こと。その歩みと、これからの展望を伺いました。
「志なんて、なかった」——流されるように歩んだ、介護のキャリア

進さんがこの業界に足を踏み入れたのは、看護師である母親のすすめがきっかけでした。もともとはまったく別の仕事をしていましたが、勤め先の倒産などが重なり、まずは看護助手として病院へ。
一度退職した後、改めて就職先を探すなかで、特別養護老人ホームの介護職に就きます。
「まずは、生きていくためでした」
初任者研修、介護福祉士と、取れる資格を順に取っていきましたが、「資格で仕事をする気はなかった」と進さんは振り返ります。
「正直、資格なんて要らないと思っていたくらいで。ただ、仕事は好きだったし、面白かったんです」
しかし、現場で働き続けるなかで腰を痛め、手術を受けることに。術後も復帰しましたが、周囲に負担をかけている状況は変わりません。体を使わない仕事に移らないと——そう覚悟を決めてケアマネジャーの資格を取りました。
ただ、すぐにケアマネジャーにはなりませんでした。ちょうど障害福祉サービス事業所(就労継続支援A型)の立ち上げスタッフの話が舞い込み、「新規の立ち上げのほうが面白そう」と、そちらを選んだのです。
ところが今度は股関節を痛め、1年ほど休職。復帰しようとした頃にはポストがなく、転職を考えていたとき、介護職時代の同期がケアマネジャーをしていると知ります。
「大変そうだけど、面白そう」。そのツテで居宅介護支援事業所に入ったのが、ケアマネジャーとしてのスタートラインでした。
「志なんて何もなかったんです。入退院のたびに、しょうがないからと選んでいったら、たまたまケアマネジャーに行き着いた、という感じで」
居宅で6年ほど勤務した後に独立し、いまは3〜4年目。現在は自身の事業所を経営しながら、進さん自身も少しだけケアマネジャーとして現場に関わっています。
「絶対、嘘だと思った」——紡ぐ会との出会い

実は、ケアマネジャーになった当初、進さんは仕事に強い違和感を抱いていました。「1年目、2年目で、“なんだ、この仕事は”と。もう辞めようと思っていました」。
辞めようと思いながらも働き続けるうちに、気づけば管理職になっていました。「ケアマネジャーは嫌だけど、管理職としての責任は果たさないといけない」。
最低限の務めを果たしつつ辞めるタイミングを決め、次は不動産業界へ——と、資格試験に申し込んでみたりもしていた頃でした。
そんなときに出会ったのが、「ケアマネジャーを紡ぐ会」です。勤めていた会社の社長が、先代会長の事業所見学に連れて行ってくれたのがきっかけでした。
「ケアマネジャーでも、残業なく余裕を持って働けて、ちゃんと給料も確保できている——そう聞いて、絶対に嘘だと思ったんです」
研修やコンサルをしている人が言う“きれいごと”だろう、と。けれど、実際に足を運び、直接話を聞いて、印象は大きく変わります。
「自分がやってきたこと、言ってきたことが、中途半端だったんだと痛感して。でも同時に、自分が思い描いていたケアマネジャー像は、やっぱり正しかったんだと気づいたんです」
人のせいにするのはやめよう。やればいいだけの話だ——そう奮起した進さんは、まず自分の職場の体制づくりから動き出します。
ちょうどその頃、勤め先で「紡ぐ会」のおおさか支部を立ち上げる話が持ち上がり、そこで出てきたのが“産業ケアマネ”という構想でした。
ケアマネジャーが自分の仕事を効率化し、余裕を持って利用者や家族に向き合う。そうして生まれた余裕を、地域や社会に還元していく——。
「その構想を聞いて、ケアマネジャーってやっぱりかっこいいな、と。まだ形になる前の、構想の段階からすごく魅力を感じて、これをどう具現化するか、というところに、のめり込んでいきました」
産業ケアマネとは何か——「産業医のケアマネ版」誕生の背景

そもそも、産業ケアマネとはどんな存在なのでしょうか。進さんは、こう説明します。
「1番スタンダードな説明は、“産業医のケアマネ版”。企業に関わって、働く人が介護で困ったときに相談できる人、というイメージですね」
この構想が生まれた背景について、進さんは「正確な経緯は、途中から参加した自分にはわからない」と前置きしたうえで、こう推し量ります。
おそらく先代会長が、ケアマネジャーの“新しい価値の創造”を考えたとき、ちょうど介護離職が社会問題になっていた。そこに、新しいビジネスモデルとしての可能性を見出したのではないか——。
進さん自身も、この立ち上げに深く関わってきましたが、その道のりは、決してきれいな一本道ではありませんでした。
「実は、一度メンバーから外されているんです」
資格の設立にあたって張り切って手を挙げたものの、当時の進さんは、おおさか支部を立ち上げた会社のいち従業員という立場。「関東組でやる」という流れのなかで、いったんメンバーから外れることになったのです。
それでも、進さんは止まりませんでした。あちこちで産業ケアマネの話を広めながら、自分なりに動き続けます。
試験の開催時にはスタッフとして関わり、オンラインが苦手なメンバーの代わりに試験対策の動画制作を手伝ったり、会としての発信を担ったり。気づけば、中心メンバーとして自然に溶け込んでいました。
「もう勝手にやっているものだから、外すわけにもいかなくなって。ぬるっと、いつの間にか入り込んでいた、という感じです」
そして進さん自身も、第1回の資格試験を受験し、産業ケアマネの資格を取得しました。
「介護を前面に出さない」——企業との関わり方と、切り替えという課題

産業ケアマネとして、進さんは企業と顧問契約を結び、介護相談や社内研修、体制づくりなどを月額でパッケージ提供しています。そのなかで進さんが強調するのが、「介護を前面に出しすぎない」というスタンスです。
「介護と言うと、経営者も従業員も、目の前に来ないと当事者意識が湧かない。“まだいいや”となってしまうんですよね。だから私は、介護そのものよりも、企業の人材の定着や育成というところに話を持っていくんです」
多くの企業が抱える「人が足りない」「若手が定着しない」という課題を入り口に、「実は、その裏にこういう課題も潜んでいますよ」とデータで示す。介護の専門家として関わりつつも、アプローチは人材育成・定着の文脈で組み立てる。そうすることで、企業は前向きに耳を傾けてくれると言います。
「介護を前面に出しすぎると、“従業員をもっと守らなきゃ”と企業側が抱え込みすぎて、今度は企業が疲弊してしまう。そうではなくて、従業員が介護をしながらでも働ける状態をつくって、パフォーマンスを落とさず企業も回っていく——その好循環を目指しているんです」
一方で、産業ケアマネならではの難しさもあります。それが、「ケアマネジャーと産業ケアマネの“切り替え”」です。
「親切なケアマネジャーとして介護相談に乗るだけなら、産業ケアマネでなくてもできる。企業ときちんと契約を結ぶなら、その思考の切り替えと、どう商品化するか”が欠かせません。これは、相手がどうこうより、私たち自身の課題だと思っています」
じわじわ変わる社内の空気——手応えを感じる瞬間

活動のなかで、進さんはどんなときに手応えを感じるのでしょうか。ひとつは、企業に知識が“浸透していく”実感です。
「1回研修をやって終わり、ではなく、2年目、3年目と続けている企業さんも出てきていて。伴走しながら社内教育のように関わっていくと、“介護ってこういうことなんだ”というのが、じわじわ当たり前になっていくんです」
人事や経営者にその理解が根づけば、いざ従業員に介護の課題が起きても、対応はぐっとスムーズになります。「やっぱり、教育だなと思いますね」。
もうひとつ、進さんが挙げるのが、「社内の空気が変わる」瞬間です。
「特に、50人くらいまでの企業で、訪問で関わっているところだと、社内の雰囲気が変わるのがはっきりわかるんです」
長く関わるなかで若手が定着し、社内の空気が良くなっていく。以前のような衝突が目に見えて減った——そんな声を、企業側からいただくこともあると言います。
「どこまでが自分の影響かはわかりません。でも、ゼロではないかな、と」。
長く関わっているからこそ、慌てて相談に来た人にもすぐに応じられる。その結果、「休まずに、仕事をしながら介護もできた」というケースが、いくつも生まれています。
「もし私がいなかったら、その人はきっとたくさん休んで、仕事の分担が周りに回って、みんなが振り回されていた。それが起きずに済んだなら、“いてよかったね”と思えるんです」
広がりの先に見えるもの——ケアマネジャーの活躍の場を広げる意義

産業ケアマネの広がりについて、進さんは冷静に見ています。「爆発的、というわけではないですが、コンスタントに、着実に広がってきているな、という印象です」。
この広がりに、進さんはどんな意義を感じているのでしょうか。話は、介護保険制度そのものにも及びます。
「社会保障の財源の問題や、介護職の人手不足など、業界にはいろいろな課題があります。でも、産業ケアマネの活動がうまく広がっていけば、“使う側”が賢くなるんですよね」
これまでは、制度をよく理解しないまま介護保険を利用し、相談を受ける側も「なんとかしなければ」と無理を重ねてきた。それが、いわゆるシャドウワークにつながってきた面もあります。
「使う側が、介護保険の制度や“介護とは何か”を理解していくと、自分で上手に選べるようになる。そうすれば、介護がもっと社会全体で穏やかなものになるんじゃないか、と期待しているんです」
使う側が賢くなれば、現場のケアマネジャーも無理難題に振り回されずに済む。高齢者向けのサービスも活発になり、経済が回り、巡り巡って社会保障も安定していく——。ケアマネジャーの活躍の場が広がることは、その好循環の入り口なのだと、進さんは考えています。
疲弊するケアマネジャーを、ゼロに——2代目会長からのメッセージ

進さんは現在、「ケアマネジャーを紡ぐ会」の2代目会長を務めています。とはいえ、これも「なろうと思ってなったわけではなく、転がり込んできた話」だと言います。それでも、目指す方向は明確です。
「疲弊しているケアマネジャーが、まだまだ多い。そのケアマネジャーを“ゼロ”にするために、当初から続けているストレス研修——ケアマネジャーがストレスを溜めずに働く方法を、これからも発信し続けたいんです」
疲弊するケアマネジャーを減らし、元気なケアマネジャーを増やす。そうすれば、産業ケアマネという新しい価値も、自然とさらに伸びていく。
「とにかく、この活動を止めない。ケアマネジャーが元気になることを中心に、どこまでも進めていきたいと思っています」。
最後に、読者であるケアマネジャーへのメッセージを尋ねると、進さんはこう言葉を継ぎました。
「変わりたかったら、行動してください。“変えてほしい” “変わりたい”と言うのは簡単なんです。でも、じゃあ誰がそれをやるのか、となったら、自分しかいない。ありたい未来があるのなら、一緒に行動しましょう」
「ひとりでは、しんどい。だからこそ、ケアマネジャーを紡ぐ会があるんです。ひとりで抱え込まずに、一緒に行動していきましょう」
流されるように歩んできた道の先で、進さんは「自分から動く」ことの意味を掴みました。
その言葉には、かつて辞めることを考えていたひとりのケアマネジャーが、仲間と出会い、変わっていった実感が滲んでいます。疲弊するケアマネジャーを、ゼロに。その挑戦は、まだ始まったばかりです。
執筆者紹介 高橋
医療と介護をつなぐ「安心のサポーター」。現場のリアルな知恵を届けます。
訪問看護やデイサービスでの勤務を通して、介護の現場に携わってきました。病院勤務の経験もあり、医療と介護の両方の視点から、現場で得た知識や経験をわかりやすくお届けします。
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